MIHO LEGEND 美保伝説

美保伝説

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第4話 永遠のプレーオフ

2005年のシーズンは美保は残念ながら未勝利に終わりました。
プロには成績が良いシーズンと、良くないシーズンがあるみたいです。
それを考えると不動選手の6年連続賞金女王は、やはり素晴らしいことだと思います。
私はシニアリーグの監督を退き、今回は静岡県の東名カントリークラブに美保の応援にやって参りました。ようやく美保の応援に専念できます。

試合は2006年7月16日スタンレーレディースゴルフトーナメント、大会3日目。
最終組の一つ前をラウンドする、美保の姉貴分の大山志保選手が、この日ノーボギー4バーディーの10アンダー1位で先にホールアウトします。
大山選手と同じく3位タイでスタートした美保は、2番、4番とボギーが先行します。
しかし、5番から怒涛の4連続バーディーと意地を見せ、10番、17番でもバーディーを奪い、最終ホールで1打差にまで追いつきます。見事18番でも3.5メートルのバーディーパットを沈め、姉妹弟子対決のプレーオフとしたのです。

美保が中学2年生の時、宮崎県でナショナルチームの合宿がありました。
そのころから大山選手とは共に清元先生の門下生として切磋琢磨した仲です。
当時、志保ちゃんは熊本の私の自宅の近くにアパートを借り、宮崎から一人で熊本に出てきて、練習に励んでおりました。
同門ですので、美保を本当の妹のように可愛がってくれ、二人はとても仲が良かった為、私はよく自宅でバーベキューをするときには、志保ちゃんを誘い家族ぐるみでお付き合いをさせていただきました。
そんな仲良くさせて頂いた大山選手と、まさか優勝を争うプレーオフを美保がするとは、勝負とは皮肉なものです。

私はフォロースルーの山下氏とスタンド席から、この死闘とも呼べるプレーオフを、手に汗握りながら見守りました。熊本にいる妻の裕子とは携帯電話のメールで連絡を取り合い、逐一状況を連絡します。
プレーオフは7回続きました。LPGAの歴史の中で最長タイ記録です。カップの位置は2度に渡って変更され、私には永遠に続くように思われました。
お互いに一歩も譲らず、プレーオフ7ホール目。観客は誰一人帰ろうとせず、どちらが最後に勝っても、勝者敗者関係なく、二人とも褒め称えようとしているように私には見えました。
志保ちゃんはティーショットを左のラフに、美保はフェアウェイに置きます。セカンドをフェアウェイ左からまさかのミスショットで、グリーン右の深いラフに入れた美保。志保ちゃんはセカンドをグリーン奥、4~5メートルの位置にグリーンオンさせます。
美保に最大のピンチが訪れました。先に美保のサードショット。ラフからのアプローチ。恐らく無心で打った打球は、まさかのチップインバーディー!これで一気に形勢逆転し、志保ちゃんはバーディーパットを決めることが出来ず、長かった決着がつきました。
後日家に帰り、録画していたビデオを見ると、美保の「入れ入れ!」と3回ほど懇願するシーンが映っていました。

ようやく死闘を終え、喜びに浸っていた私の目に映ったのは、負けた志保ちゃんの姿でした。勝負とはあまりにも厳しいもので、私には声すら掛けてあげることが出来ませんでした。
一人一人のファンに涙を流しながらサインしている志保ちゃんの姿に、私は次に賞金女王になるのは、大山志保だと感じることが出来ました。
余談ですが、見事、2006年、6年連続賞金女王に輝いている不動選手から、賞金女王を奪取したのが大山志保選手でした。勿論私は素直な心で「志保ちゃん賞金女王おめでとう!」とお祝いの電話を一番に入れました。次に賞金女王になるのは美保だと期待しながら。

次回は5勝目、2006年マスターズGCレディース、その前夜の話を書いてみます。

美保語録 こんなに勝つのが大変だと思わなかったし、本当に嬉しかったですね。

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