MIHO LEGEND 美保伝説

美保伝説

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第3話 父の手紙

2004年時分、私はシニアリーグの監督をしていたため、毎日グランドで子供たちと暗くなるまで練習漬けの毎日を過ごしておりました。
当然、美保に構ってやれる暇はなく、生意気盛りの子供たちの指導で精一杯でした。

そんなとき、美保から一本の電話が入り、内容を聞いてみるとゴルフを辞めたいとか、清元先生の指導についていけないとか、泣き言の電話でした。
私は間髪入れず「そんなに辞めたければ辞めてしまえ」と逆療法で言ってみようと考え、美保を冷たく叱りつけました。
当時清元門下生には、不動裕理選手、大山志保選手と日本のトッププロの後姿を見ながらの練習と、清元先生の指導には定評があり、先生の厳しさは我ながら手に取るように分かっていたつもりです。
美保も私が構ってくれない寂しさと、初めて経験するプロの壁とでも言うのでしょうか、勝てないジレンマに孤軍奮闘していました。
そんな中での電話だったのですが、私は美保の一人立ちを願い、あえて辛く突き放すことにしたのです。
しかし、美保のことになると甘い甘いお父さんです。
電話では突き放しても、次の日には美保大好きのお父さんに逆戻りです。美保に手紙を書きました。

清元先生は美保の心を強くしてるんだ、先生のご指導に絶対間違いはない、という意味で美保に手紙を送りました。

2004年10月31日樋口久子殿堂入り記念IDC大塚家具レディス、美保の残業の成果が表れます。
初日、2日目と暫定トップの美保。
2日目は雨の影響で、試合が遅れ日没サスペンデッドとなり、美保たち上位陣は最終日の早朝から第2ラウンドを消化しなければなりません。
最終日前夜、私は「ウォーミングアップのような気持ちで頑張れ」と励ましました。
最終日、横峯さくら選手が怒涛の追い上げで、一時はトップを奪いましたが、後半に入ると美保に流れが傾いたそうで、16番で首位を奪うと逃げ切って優勝しました(試合放映を録画してみました)。
前週のマスターズGCで惜しくも2位だった雪辱を果たし、大塚家具レディスで3勝目をあげます。
最終日、私は自分のシニアリーグの大会の試合中だったのですが、「古閑美保が優勝」と吉報が入ってきました。
不謹慎ではありますが、試合中にも関わらず美保の優勝で天にも昇る気持ちになり、心の中で万歳を繰り返しておりました。

次回はスタンレーレディース姉妹対決、手に汗握る7ホールの死闘をつづりたいと思います。

美保語録 練習は決して裏切らない。

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