MIHO’S  PERSONAL HISTORY 古閑美保の生い立ち

古閑美保物語

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第13話 ジュニアゴルファー時代

美保のジュニアゴルファー時代のライバルは、大川久乃選手。
当時、大川選手は「北の狼」、美保は「南の虎」と呼ばれておりました。
大川選手との名勝負が今でも古閑家には、伝説として残っています。
振り返れば、大川選手との出会い・死闘が、ゴルフ選手としての美保を育くんだ大きな一因であったことに違いは無いと思います。

中学2年生。九州ジュニアゴルフ選手権がありました。全国大会への切符を手にすることが出来る大事な試合でした。切符を手にすることができるのは、その試合でベスト4までに入った選手です。
親としては、どうにかベスト4に入り、全国大会に出場してほしいと思っておりましたが、美保は我々の期待を大きく上回り、優勝して全国大会の切符を手に入れたのでした。
その試合は、当時九州地区で高校3年生のスーパー女子高生と呼ばれていた勇智江選手が、初日で美保に7打差をつけておりましたが、見事逆転し優勝カップを手にしました。
このことに、九州のスポーツ紙がとびつき、「女タイガーウッズの誕生」「九州の怪物」「あの天才野球少女がゴルフ界の天才に」のような見出しが九州を席巻しました。

全国大会の切符を手に入れた美保は、日本ジュニアゴルフ選手権でも話題を独占しました。
ライバル大川選手との一騎打ち。二日間競技のジュニア大会で、1日目は4打差を大川選手につけられ、2日目に逆転し、軍配は美保に上がりました。
ついに、世界選手権への切符を手に入れたのです。
逆転して勝つというパターンが、美保はジュニアの頃から多かったように思います。全国紙に初めて「古閑美保」の名前を刻んだ瞬間でした。

世界ジュニア選手権。世界8カ国で予選が行われ、それぞれのチャンピオンが集まり、日本国内で3日間の大会が開催されました。
層々たる選手の中でも、初日64ストロークと北の狼大川選手が爆発的なスコアで、全メディアに「大川の優勝間違いなし」と見出しが躍りました。
そんな中、3人の選手が、競技2日目で140ストローク前後に並ぶデッドヒートの試合でした。
最終日、ドイツのジュリアクランスキー選手、大川久乃選手、美保が最終組を回りました。
またしても、美保は最終日にチャージをかけ、逆転優勝をし、世界一という快挙を達成しました。
我が娘ながら本当にすごい娘です。

その後、ナショナルチームに、中学2年生で史上初の中学生メンバーとして選抜され、世界18カ国をゴルフのツアーで旅します。

次回は最終話となりますが、アマチュアでハワイの武富士クラシックに出場する試合、プロゴルファーになるまでをお話します。

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