MIHO’S  PERSONAL HISTORY 古閑美保の生い立ち

古閑美保物語

Back Number

第12話 ゴルフ生活

坂田塾に入塾してまもなく、美保はやはり塾内でもリーダー的存在になっていました。
当時、広畑ゴルフ練習場でも明るいキャラクターが受け、社長や伊藤龍志コーチ、練習に来ているお客さんから大変人気があったようです。
毎日、雨の日も風の日も1日も休むことなく欠かさず練習に行きました。
本人が38度の高熱を出しても、決して休むことはありませんでした。逆にゴルフ場の支配人が心配して帰るよう諭すまで帰りませんでした。
こんなこともありました。当時、ゴルフ場の会員権を塾生の中で、美保が一番に与えられたことがあり、他の選手の父母たちのやっかみの一因になったりもしました。
このようなことが美保の根性をたくさん鍛えてくれました。

日々練習を重ねていた美保にいよいよ初めての試合の日がやってきました。
福岡県の八女上陽ゴルフ倶楽部で行われ、初スコアが115ストロークでした。
高校生の部では九州女学院の不動裕理さんが78で優勝をされておりました。これが美保の不動選手との最初の出会いで、「私も不動さんみたいになれるかなぁ」と子供心に言っていました。

毎日、広畑ゴルフ練習場で練習をし、練習を始めるときと終わるときには、お世話になっている練習場のトイレや練習レンジの掃除をし、家に帰ると私と個人トレーニング「野球のティーバッティング」や「早朝ランニング」等に精を出しました。

月日が流れるのも早いもので、中学一年、またしても好敵手の登場です。


pagetop