MIHO’S  PERSONAL HISTORY 古閑美保の生い立ち

古閑美保物語

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第11話 ゴルフとの出会い

さて、前号の話と時期を同じくして、熊本のテレビ局 テレビ熊本主催の「TKUジュニアゴルフ塾(通称=坂田塾)」が生徒を募集しておりました。
私の従兄弟がこの話を聞きつけ、応募してみてはどうかと薦めました。
その従兄弟こそ、現在美保のマネジメントをしてくれている株式会社フォロースルーの代表取締役 山下精昭です。今日のように美保をマネジメントしてくれるとは、その時は露ほども思っておりませんでしたが、ご縁とは不思議なものです。
私の家系は野球一家で、当時ゴルフをするものがおらず、寝耳に水の話でした。
私は美保を初のNPB女子プロ野球選手にすることを夢見ておりましたが、祖父母や前出の従兄弟などの話を聞いて、ゴルフの道に惹かれはじめ、とりあえず入塾テストを受けてみるように薦めました。

入塾テストは私、妻、美保3名での面接で、身体の柔軟性や筋肉の付き方、一番重要そうだったのは、私たち親がゴルフ指導に口を出さないことでした。
入塾希望の子供たちの中でも美保の身体能力は群を抜いており、トップで合格しました。
私は、野球にも未練があり、嬉しいような寂しいような複雑な気持ちでした。

坂田塾に入塾しても、野球の試合の時には、必ず宮本監督が「試合にだけは出てくれないか」と迎えにいらっしゃいました。そして試合では必ずホームランを放っていました。

しかし、事件は起こります。
野球の練習には来ないで、試合には出場する。宮本監督が野球部の父母のやり玉に挙げられていたのです。
野球部はみんなまじめに毎日練習しているにも関わらず、試合の時には実力のある美保を出す。やはり頑張っている子供を持つ両親は面白くないですよね。試合の勝ち負け以前に、監督の指導者としてのモラルの問題と、かなり責められていたそうです。
そのことが、やがて美保の耳に入り、「大好きな宮本監督が」と私のところに泣きながら訴えてきました。すぐさま野球部の父母を集め、事の真相を追究すると、試合に出ることが出来ない父母の意見でした。その日を境に、美保を野球から退部させることで皆さんとは和解しました。

この事により、ゴルフの道一本となったわけですが、野球とゴルフを比べるとやはり野球のほうが面白かったらしく、最初はあまりゴルフに身が入っておりませんでした。
しかし、同期の坂田塾に蒼々たるメンバーがおり、負けず嫌いの美保は、日に日にゴルフに没頭するようになりました。
ゴルファー古閑美保は、同期入塾のライバルたちによってゴルフに目覚めてしまったのです。


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