MIHO’S  PERSONAL HISTORY 古閑美保の生い立ち

古閑美保物語

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第10話 名対決

好敵手・馬原孝浩投手との対戦の話です。
馬原投手が小学校6年生、美保が小学校5年生でした。
熊本県大会の決勝戦。場所は水前寺野球場。
美保の第1打席、1ストライク2ボールからの3球目を美保が強振しました。打球は高い放物線を描き、ライトを守っていた選手の頭上を越え、ライトフェンス直撃のランニングホームラン。
ホームベースからフェンスまでの距離は両翼で90m、大人用の球場です。
熊本少年軟式野球連盟、審判部長の藤本氏曰く、当時までの小学生でフェンスを直撃する打球を放った選手はいないとのことでした。

2打席目。カウント2ボールから右中間を破るタイムリー2ベースヒット。3打席目は2ストライク1ボールから空振り三振。試合は7回の裏、後攻の託麻東小学校最後の攻撃。
馬原投手が在籍していた託麻原小学校が勝っており、打順は1番からの好打順。
一人走者が出れば美保まで回る打順でした。
しかし、馬原投手は1番バッターから3者連続三振に討ち取り、ゲームセット。
父としては、最後に美保に打席が回ってきてほしかったなぁと今でも思っています。
試合は決勝戦に相応しく、6-5で託麻原小学校に軍配が上がりました。

当時の試合の印象を、前出の藤本審判部長は、次のように語ってらっしゃいました。
「馬原投手の投げる速球はピカイチ。投球フォームも美しいものがあった。しかし美保の構えもずば抜けており、美保が打席に入ると、外野手がフェンスぎりぎりのところまで下がって守っていたのを覚えています。監督の指示でしょうが、あんなシフトはまず見たことが無いですね。」とおっしゃっておりました。
私自身も馬原投手は必ずや日本を代表する名投手になると野球友達に話していたものです。

時期を同じくして、坂田ジュニアゴルフ塾の入塾テストがあり、ゴルフの道を歩くことになります。
始めは、野球とゴルフを両立させようと本人は孤軍奮闘しておりましたが、両立は難しく、ある日を境にゴルフの道に邁進します。
そのように決めてからも、野球が忘れられないらしく、妻・裕子の話では、毎日グラブとバットを抱いて寝ていたそうです。

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