MIHO’S  PERSONAL HISTORY 古閑美保の生い立ち

古閑美保物語

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第9話 初めての部活動

初めての練習試合。
当時、熊本県に浜松市のスポーツ少年クラブ(全国ベスト4の実力のチーム)が遠征で来ており、託麻東小学校野球部と練習試合を行う機会がございました。
投手、野手ともに良い選手が揃っていて、チームの統率もとれており、本当に強いチームでした。
試合は進み、6回裏、宮本監督が面白半分で美保を代打で出してみようと言われました。
試合は16対0で負けており、意気消沈ムードでした。
相手方のピッチャーは全国ベスト4の投手で、身長170cmほどの大人のような素晴らしい体格をしておりました。
対する美保は、小学校3年生、身長は同級生の男の子より高かったのですが、差は歴然。
宮本監督より「代打、美保」のコール。そして、その初球。
ボールは高く上がり、ライトを守っている選手の遥か頭上を超していきました。
どっと、歓声が上がりましたが、当の美保はバッターボックスに立ったまま。私はバッティングと投げ方は教えておりましたが、まだ低学年だったせいか、野球のルール(打った後に一塁ベースに走ること)までは教えておりませんでした。
慌てたベンチの選手が「走れ走れ」と叫びだし、ようやく美保は走り出したのでした。
初打席が特大ホームラン。
その話は瞬く間に熊本県下に広がり、テレビ新聞などのメディアが美保の取材のために動き出したのでした。小学校5年生の時には、水前寺野球場という立派なグランドにテレビカメラが7台も並んだこともありました。

熊本県大会の決勝戦。
対戦チームは託麻原小学校。熊本県ナンバー1の投手対熊本県ナンバーワンのスラッガーの対戦に、地方紙、中学校、高校の監督や部長などが観戦に訪れておりました。
その投手とは現ソフトバンクホークスの馬原孝浩投手でした。

次号は名対決の話をします。

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