MIHO’S  PERSONAL HISTORY 古閑美保の生い立ち

古閑美保物語

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第8話 初めての部活動

皆様、新年明けましておめでとうございます。
年が明け、新たな一年のスタートが始まり、また美保を応援して頂けるよう、どうぞよろしくお願い申し上げます。

さて、今回が8話目ですが、美保が小学校の野球部に入部するところからお話します。
美保にとって初めてのクラブ活動です。
と言っても、相手はすべて小学生の男の子です。当時、女の子で野球をする子供なんて、まだまだ少なかった時代だと思います。美保は託麻東小学校で初めて女子の野球選手となりました。

美保が入部した野球部には、名伯楽の監督がおりました。
その監督は私が第一期の教え子であり、私をエースで四番に造り上げた方でした。
「宮本政徳」これが、監督のお名前で、監督暦30年のベテラン、私ともども親子二代に渡って野球を教えていただきました。
がしかし、宮本監督は47歳の若さでご逝去されました。
美保にとって、生涯唯一の野球部の監督であり、初めて経験する恩師との別れでした。

小学校3年生で野球部に入部してから数日が経ちました。
ある日、私が仕事終わりにグランドに行ってみると、ユニフォームを着た美保が、グローブを持たずに、ただ立っているだけでした。キャッチボールの時も、今まで教えてきたフォームとはまったく違う投げ方をしていました。
美保に「何でそんな投げ方をしとると?」と聞くと、相手が取れないと言いましたので、美保を叱りました。
私はその場で宮本監督に事情を説明したところ、監督は、キャッチボールの相手が取れないのと、小学校の男の子ですので、女子なんかとキャッチボールが出来るかと言っている子がいることを説明してくださいました。
監督と私は旧知の中でしたので、私は監督に食ってかかりました。
美保は本当に野球をしたがっているのに、その場を作ってやれないのかと。
監督は選手全員を集め、話をしてくださいました。
「古閑美保は女の子であるが、野球においてそんなことは関係ないんだ。」「美保とのキャッチボールや練習を拒否したものはグランド10周。」
少々強引ではありましたが、監督のお陰で美保は徐々に野球部に溶け込んでいきました。
私が教えた投げ方で投げ、私が教えた打ち方で打ち、練習を好きだったせいか、日に日に上達しました。子供の成長はやはり嬉しいものでしたね。

次号は練習試合についてお話します。

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