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美保との野球漬けの日々が続く中、妻・裕子が待望の二人目を授かりました。
正直に申し上げますと、私はかなり男の子を期待しましたが、女の子でした。
妹・理沙の誕生です。この子は、美保が赤ちゃんの時よりも大きい女の子でしたが、美保より大人しく、お嬢様のようになるように「お嬢!お嬢!」と私は呼びながら育てました。
さて、美保ですが、ついに小学校2年生になりました。
その頃、熊本では風疹が大流行し、私の家族が全員風疹にかかっておりました。私、妻、理沙と風疹にかかり、最後に美保・・・。
風疹の勢いは止まるところを知らず、熊本県の子供の患者6人がお亡くなりになり、2人が全身麻痺となる等、想像を絶する病だったと当時のニュースで放送されております。
美保の場合、風疹にかかって二日目に、まず立って歩くことができないと言い始めたので、医者に連れて行き、寝かせて様子を見ました。
明朝、今度は頭が割れるように痛いと言い出し、別の医者に連れて行ったところ、「翌日、総合病院に連れて行ってください」と言われましたので、すぐに総合病院に連れて行きました。
そうしたところ、風疹脳炎と診断され、緊急入院をすることになりました。発症するのは5000人に1人の割合だそうです。
入院してまもなく、立って歩くことはおろか、眼球の動きが通常ではなくなり、全身痙攣を起こし、すぐにICUに移され、昏睡状態に陥ってしまいました。
意識障害のため手足をばたつかせ、それを抑えるために手足を拘束されている美保を見るのは非常につらいものがありました。
担当の先生は、「昏睡から目覚めても両親の顔すら解らなく、体は脳の腫れによる後遺症の為、半身不随はまぬがれない」と言われ、私たち夫婦は三日三晩寝ずの看病、私は藁をもすがる思いで、お寺に参りに行き、ずっと美保の手を握り締め「どの神様でもいいから、俺の命と引き換えにしてでも何とか助けてください」と祈りました。
祈りが通じたのか、入院して4日目、美保は奇跡的に目を覚まし、第一声を「お父さん」と呟きました。美保、意識を取り戻してくれてありがとう!無事、2週間で退院することが出来、順調に回復し、私は生まれて初めて神に感謝しました。
それからリハビリの始まりであります。
ある程度病状が回復してからは、妻は止めましたが、下半身のふらつきを治す為、水中歩行のリハビリを始めました。
初めはプールで、慣れてくると近くの白川で腰にロープをくくりつけ上流に向かって歩かせる過酷なリハビリを含めたトレーニングを徐々に行いました。
美保は回復が早く、いつしかこれまでやってきたトレーニング同様に動けるようになっていました。
風疹脳炎。美保にとっても私達家族にとっても、本当につらい経験でしたが、現在の美保があるのは、大病を乗り越えることが出来たからだと思います。
翌年、小学校3年生になりまして、野球部に入部しました。美保にとって初めての部活動です。
この続きは次回お話します。


