MIHO’S  PERSONAL HISTORY 古閑美保の生い立ち

古閑美保物語

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第5話 野球教育

3歳になった美保は私の言うことを全て聞きました。
話の飲み込みが早く、すぐに理解していました。
当時、右脳や左脳とかの教育言語すら知らなかった私ですが、美保には左手でご飯を食べさせることから始めました。字を書くときもたまに左手で書かせました。
左バッターを育てたかったので、日常生活の中でも、より左手を器用に動かせたほうが良いと単純に思ったからです。右投げ左打ち、私の野球人生において理想の形です。
学生時代に培った野球が日に日に甦り、いつしか星一徹になったような気さえしておりました。

野球に関しては、まずバッティングの基本を徹底的に教え込みました。
グリップの握り、スタンス、構え。男の子はある程度テレビの野球放送を見たり、友達と野球ごっこをしたりして打ち方や投げ方を学びますが、女の子の場合は遊び相手が野球をしている子なんてほとんど皆無だと思うので苦労しました。
当時スターだった阪神の掛布選手や、巨人の篠塚選手のバッティングビデオを一日一回スロー再生で見せていました。
最近の言葉を借りると、スイングフォームを右脳に焼き付けるサイバービジョンの徹底からはじめ、私の部屋の畳の上に「根性」「努力」の文字とバッティングスタンス、ホームベースをマジックで描き、毎日そこに立たせてはスイングの形を作っていきました。
まだ3、4歳なのでプラスチックの軽いバットを持たせ、スイングがレベルになる様、毎日晩酌しながら長い竹の棒を持ち、悪いスイングをするとピシャッと軽く叩き、痛みを身体で覚えさせ、スイング矯正をしていました。
教え始めてから3ヶ月もすると、バッティングフォームも大部分固まり、子供用のゴムボールを横からトスしてあげると、打てるようになっていました。

一度、当時のアパートの大家さんが自宅に来られたときに、畳を見てこっぴどく叱られたのを、美保も私もはっきりと未だに覚えています(笑)。

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