MIHO’S  PERSONAL HISTORY 古閑美保の生い立ち

古閑美保物語

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第4話 保育園に入園

美保が2歳になった頃から、私は美保をことあるごとに褒めました。
以前お話したとおり、私と美保は常に一緒の日常を送っていましたので、私は何をするにも、美保を褒めて褒めて褒め称えました。
例えば、ミルクを少し多く飲んだだけで天才と、ご飯を多く食べただけで天才天才と褒めました。
子供は素直ですから、褒めてあげればあげるだけ、ご飯を食べることを喜んでいましたね。そのお陰で本当に大きく成長していきました。

3歳になり保育園に入園。
集団生活の中で、少しおませな子供になっていきました。
この物語を書く上で、当時の保育手帳を見返していたら、このような記述を保育園の先生が書かれていました。「園児の中でも常にリーダーシップを発揮しています。洋服の着替えの時間に他の園児のボタンの掛け違えを直してあげたり、歯磨きの時間に歯磨きを嫌がる子をたしなめて歯磨きを手伝ってあげたり出来ます。」と。
妻が言うには、園の中では先生から、冗談で「お母さん」と呼ばれていたそうです。

一度だけ、家のコタツの中から出ず、保育園に行かないと泣いていたことがありました。理由はわかりませんが、腹の虫の居所が悪くて、甘えていたんでしょか。
私が、生涯一度だけ美保を叱ったことはこの時だけだと思います。以後、成人になるまで、私は美保を一度も叱ったことがありません。
私が駄目だというと、とても聞き分けの良い素直な子供で、一度は反発するも、なぜ駄目なのかを説明すれば、最後には理解していましたね。

保育園といえば、運動会。私の住む田舎町では、運動会は年中行事の中でも一番のイベントです。
私は前日の晩から運動会の場所取り、自分の運動会のような気持ちで夜は寝れませんでした。
そんな一大イベントの運動会で、美保はどの競技も常に一等賞。運動会の夜は毎回、一等賞のご褒美にレストランなどでお子様ランチでした。
私はというと、そういう晩にはきまって、近所の友達を集めて、朝方まで美保の自慢話に花を咲かせておりました。嬉しさのあまり、飲むも飲んだり1晩に焼酎を1升くらいは飲み上げていました。
当時は自分自身若かったせいか、酒の味なんてものは分からず、ただ、酔っ払うことに快感を覚え酒を飲み、今思えば、その当時のツケが後でまわってきた(脳梗塞になりました)ことは確実です。
皆さんもほどほどに。

次号は3歳からの私の野球教育をお話します。

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