MIHO’S  PERSONAL HISTORY 古閑美保の生い立ち

古閑美保物語

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第2話 やんちゃな幼少期 ①

皆さんこんにちは。
美保の幼児期のことをお話します。

幼児期、私は仕事に行く前に、必ず美保の体をチェックし、美保の体に変化がないかを確認していました。また、仕事から帰って来たときも、一番に美保の体を確認する事が日課になっていました。
大切に育てておりましたので、怪我でもしていようものなら、妻である裕子は、私にこっぴどく叱られるどころでは済まないと悟っていたような気がします。
その頃の私は、星飛雄馬を作るにはまず体が大事だと考えておりましたから、徹底的に美保の体を作り上げることを決意します。。

体を作るには食事です。
食事に関して、美保がまだミルクを飲んでいる時のことです。
当時使っていた哺乳瓶で、ミルクの出が悪いものがありました。
そんな時は気が狂ったように泣き、哺乳瓶の飲み口のサイズを変えてあげたり、飲み口のところに、余分に針で穴を開けてミルクの出を良くしてあげると、泣かずに飲みながら眠っていました。

驚いたのが、下の歯が生える6ヶ月頃だったと思います。
ちょうど離乳食に移るくらいの頃、哺乳瓶の出は悪くないのですが、本人にとってはミルクの出が悪いと思ったのか、自分の歯で哺乳瓶の飲み口を、ブチっと噛み破ったではないですか!
飲み口はゴムのような素材で出来ており、結構堅いと思うのですが・・。
しかも2、3回このようなことが起こりました。このことが家の近所でも噂になり、親戚のおじさんからは「金剛寺力丸」と言う名誉?の名前まで付けられました。
それくらい、美保は食べ物に関しては良い意味で貪欲でした。
離乳期に入ってからは、リンゴやジャガイモ、青魚のすり身等を、私が直接ミキサーなどでまぶしあげたり、時にはパンを牛乳に浸し柔らかくして食べさせていました。
お陰で病気ひとつしない、丈夫な子でした。

月日の流れも早いもので順調に成長し、生後9ヶ月の半ば頃だったと思います。
熊本では、赤ちゃんが歩き始めたら、背中に餅を何個背負って立てるかを試す「背負い餅の祝い」と呼ばれる風習があります。一升分の御餅を背負うことが出来れば、一生食べ物には困らないとか、力強く健やかに育つと言われています。
今でもはっきり覚えてますが、美保はリュックサックに餅を60個(一升分)入れて背負い、ふらふらとですが歩いて回りました。
そこで、見かねた祖母が、ゆっくり箒で押し倒しました。
一升の御餅を背負い立ち続けていると、老後になって、早く足腰が悪くなるのだそうです。
美保は幼児期から力が強かったんですね。

次号は、やんちゃな幼児期バート2をお話します。

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