FINAL ~永遠に~

美保伝説

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第19話 大和の将棋

 私達夫婦の、お宝ちゃん「孫の大和君」 愛称は ちゅっちゅっ。
頬ずりしてキスしては、ちゅっちゅっ!と連呼
生まれた時から可愛くて仕方ありません。ジジ馬鹿とでも言うのでしょう・・・(笑)

大和は、美保の幼い時と少し違いまして、おとなしい性格で大泣きすることもなく
お世話するには、手の掛からない、美保とは対照的な子供です。

私の事ですから、勿論野球をやらせるべく・・・おもちゃのバットやグローブ
バッティングマシーンを購入しました。

しかし、何かが美保とは違うんですよね~

野球を始めるならば3歳からと指導体制には入ったものの・・・
大和君曰く、「そんなのはせん!!」の一言に私は一刀両断され
悲しきかなクソじじいが、そこにいました。

私は、大和に尋ねてみたのです。
「じゃあ!大和くんは何の遊びが好きと?」の問いかけに、大和は「将棋」と答えたのです。


私は若い時から、手慣れている将棋を従弟や娘婿と指しています。
私達の将棋を指している姿を、大和君は知らず知らずのうちに見入っていたのでしょう。

そこでまず私は、大和君へ「駒」の動き方や遊び方を教えました。
将棋を覚えた大和君は、素人将棋を5歳にして老人相手に生意気にも指しているではないですか・・・!!

大和君は将棋で負けると、顔をくしゃくしゃにし泣き止みません。

すると祖母である家内は、大和君に一言!!
「負けて学ぶ事もある。勝つまで戦って来なさい」と・・・恐いですね。(笑)


私の自宅隣に、家内の実姉が経営しております介護施設があります。

ある日、介護施設のデイサービスに来られます利用者さんと将棋を指している大和君が居ました。

年配の方々は将棋が強く、頭も良いのです。
大和君は、年配の方と将棋で対戦し、勝つまで向かって行くそうです。

将棋で対戦して下さった方が、この子は坂田三吉さん(突き将棋の鬼と世に謳われた王将)の生まれ変わりばい!と言わしめたものです。

私は、お大師様の子供だと思っておりますが(笑)

平成26年9月 熊本グランメッセで開催されました将棋大会。
小学生~中・高校生までの部門がありました。

当時、保育園児で出場資格のない大和君をエントリーし、出場資格を得ました。

対戦会場に入った私は、対戦を迎えようとする大和君の姿を見ては・・
美保の試合を見るよりも、手に汗を握り、心臓音の「バク・バク」が周りにいる家族へ聞こえるんじゃないか!という程、私が緊張しておりました。

一回戦は小学4年生に勝ち、二回戦は小学5年生に勝ち、三回戦で小学6年生に敗れてしまいました。

対戦も終わり、帰宅中の車の中で、将棋で負けた大和君は「じいちゃん、金は斜め後ろには行かれんでしょう!行けないよね?」と涙ながら自分の気持ちを言うのです。

相手は、ズルをしていた様でした。

私は大和君に「どうして審判委員を呼ばんだったね?」と言ったものの。。
まだ5歳児の大和君に呼べるはずもなく(泣)

そこで私は大和君に、ゴルフも将棋も「ズル」する人は絶対に伸びないよ!と言い聞かせまして「強いね!強いね!大和君」と褒めました。

私は、駒の動き指し手など、遠くから見ていても解ります。

おそらく、先手優勢。大和君の飛車が龍となり、王手をかけた所に相手の金が斜め後ろの
動きで龍の駒を取ったのでしょう・・・金は真下に一駒しか動く事が出来ないからです。

会場には、天下の「羽生善治」先生が、ご来場されておりました。


現在、6歳となった大和君。私やパパ・和哉にも一勝一敗程の腕を磨いております。
そこそこの大人は勝てないのではないでしょうか?本当の話です。

大和君は、去年(平成28年4月)小学1年生になりました。
将棋教室に通っています!13級から始まり、1週間ごとに進級しており
近所では、誰も相手にならない存在になっています。

今では、4級に昇進し、目を輝かせながら只今、初段を目指している現状です。

大和君には、色々な経験を通し、また九州男児として彼にできる事。

周りの方に喜んで頂き、人の為になる職業について欲しいと願っております。

お医者さんを目指して欲しいのですが・・・あくまでも、じいちゃんの願望ですがね~

いやいや!言霊とは現実となりうる!!(笑)



次回予告
愛娘・美保 柳生の境地に近づく!を綴ります。




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