私の父は40年、自動車鈑金の仕事を営み、右腕1本で私達兄弟2人を何不自由なく育ててくれました。
祖母から聞かされていた事ですが、父は幼少時から、とにかく野球が上手だったとの事。
(白川中学時代ではサードで4番バッター)
成績も優秀で、父・本人は熊本県立済々黌高等学校へ進学すると言っていたようです。
しかし、昔の事ですから家庭の諸事情もあり、止む無く働きだしたと聞きました。
昭和28年6月26日 熊本を襲った「白川氾濫 水害」
父の実家全て流されてしまいました。
五人兄弟で二男の父。祖母を含め兄弟は大変苦労したのだと聞かされております。
白川氾濫水害の為、集団就職で父は福岡県小倉へ行きました。
就職先は、車の鈑金、部品を取り扱う会社。
ここで技術を学び腕を磨き、再び熊本へ戻り、母と出会い鈑金工場を立ち上げたのです。
現在、鈑金屋は、兄が後継者となり、兄は鈑金経営する傍ら、介護事業を立ち上げております。
現在、母が病に倒れ、献身的に母の介護をしてくれる父と兄を私は尊敬しています。
父は頑固一徹で「肥後もっこす」・・・(正義感が強く、一度決めたら妥協しない)
その父は今、82歳の高齢となりました。若い頃よりから比べると、多少角が取れ丸くなった気がします。お酒は大好きですが・・・(笑)
私は両親へ「可愛いじいちゃん、ばあちゃんで居てね!!」と口癖の様に言っておりますが
そんな私も、いつの日か同じ境遇に立たされるのでしょうね。
私が、両親より可愛がられてきた恩恵と育ってきた環境こそが、美保に対する【愛情】に
繋がっていたのです。
忘れておりました!!
今回の話は「美保の名前の由来」でした。
私の母の名前「美恵子」 父の名前「保」
大切な両親の名前を一文字づつ授かりまして「美保」と私が命名しました。
「美保」が、日本一の賞金女王になるとは・・・誰が予想した事でしょうか?
きっと先祖からの「DNA」のお陰に違いない!!と私は感じております。
次回は、孫・大和の将棋と成長していく話を綴ります。