FINAL ~永遠に~

美保伝説

Back Number

第17話 スポーツニッポン新聞社 中島 泉さん

皆様こんにちは。美保の存在で欠かせない人物の一人がスポーツニッポン新聞社の中島部長です。

美保と中島部長の出会いは、小学5年生の時から始まります。

坂田塾入部したての美保と初めて会われました。当時はまだ無名の美保。
中島部長は美保の目を見て「この子しかいない!!」と言ってくださったのです。

その場に居合わせた私は、少し謙遜しながらも。心の中で「何と!先見の目のある方だろう!!」と思いました。

美保(中学2年)は地元(熊本)で開催されました再春館レディースに出場しました。
予選落ちしたのですが、スポニチの一面に美保が掲載されたのです。
美保(中学3年)は、リベンジも兼ね再春館レディースに出場。見事に予選突破し、最終日にはプロ選手の中で13位にくい込み、ベストアマに輝きました。

この時美保は、涂 阿玉さんより頭を撫でられ「私より上手いんじゃないの?」と声を掛けて下さいました。

ベストアマに輝いた事で、コスメディア、他の報道陣方が取り上げて下さり、またもやスポニチ紙面一面に美保を飾ってくれました。

これはきっと中島部長の計らいだと記憶しております。

私が思いますに、美保は新聞紙面を何度も賑わせてくれた事か・・・

美保の掲載された紙面をアルバムの中に全部ファイルしており何度読み直しても飽きません。まさに親バカとは私の事なのですね(笑)

多分、中島部長の記事戦略とでも申しましょうか!毎回美保を褒めて頂き
読者の方が共感できる文面に、私は毎朝心躍らせる気持ちで拝読しておりました。


現在、中島部長は定年退職なさったそうです。スポニチさんに取りましては欠かせない人物ですよね。

今でも顧問的立場で「新・天神余話」という、すべてのスポーツ選手に携わる、すべての人に勇気を与えるコラムを掲載されたり、人事指導をなさっているそうです。

古閑美保は、どんな時でも笑顔を絶やさない天真爛漫で受け答えをする人柄が、
マスメディア方々の目に止まり「爽やかな活字」で美保を大きくされたのでしょうね!!

今、この時代では、インターネット、スマホなどで個人を中傷する文面が多々あると思います。
活字により一人のスターを作る事も出来るのですね。


次回予告
美保の名前の由来を綴りたいと思います!


pagetop