私は、歴史上の人物を例え、剣客としての武士道たるものは何ぞや!!という事を常に、美保へ教えてきました。
美保が優勝戦に絡んだ時、必ずと言っても良い程「柳生の話」を電話にて聞かせたものです。
その話は・・・と言いますと柳生石舟斎宗厳(やぎゅうせきしゅうさいむねよし)の話です。
宗厳本人、剣客においては誰にも負けないと慢心しており、自分こそは日本一と豪語しておりました。
そこへ、ある兵流者が現れ、木刀にて試合を申し込まれ、宗厳はボコボコにやられてしまいます。
宗厳は負けた事で改心し、兵流者 新陰流・上泉信綱へ何度も弟子にして下さいと懇願しました。
信綱からの返事は 「弟子は取らぬ!」の一言。
しかし、宗厳のあまりのしつこさで、ついに信綱は首を縦に振りました。
信綱は宗厳に何も教える事なく・・月日は流れ、毎日やる事といえば、川で魚釣り、山で野鳥取り。
宗厳は信綱に「何故、剣術を教えてくれないのですか?」との質問に信綱は・・・
「お前には全て基本は備わっている。あとは自分で磨け!!」の言葉でした。
宗厳は自問自答する中、月夜の晩、気付く事がありました。
水中 川の流れで剣を振っていると・・流れにはどこかしら水が止まる澱みがある。と・・・
己の未熟さに何度も繰り返し水面を叩くのですが・・・
しかし、月夜の明かりは満面の輝きを水面に映します。
ここで、宗厳は「明鏡止水」の心を磨いたのです。
「明鏡止水」=邪念がなく、澄み切って落ち着いた心の形容
宗厳は、一国一城の主であり、妻を怒鳴り散し、食べ物では美味しくない食べ物であれば食べない程・・・「傍若無人」の人だったのです。
ある時宗厳は修練時、誤って崖から転げ落ちます。
目が覚め、ふと我に返ると目の前で、馬が糞をし、その糞が草に変わり・・・と繰り返す事に気付かされました。
宗厳の眼光は鋭くなり、帰りし宗厳は妻に会うなり、これまでの傍若を謝りました。
食事時は、「食することは、お命を頂戴いする事」と感謝の心で食べる様になったのです。
そののち宗厳の五男 宗矩が幼少期、近くで居なくなった時の事・・・
宗厳は眼を閉じ「今、宗矩は河原で遊んでいる・・・いや蔵の中で寝ているぞ!」と
心眼の眼で捉えるようになったそうです。
月日は流れ、師とあおった新陰流 上泉信綱と再会する事となり
信綱は宗厳を見るなり「お前を斬りたくなった」真剣で願おう!と・・・
お互い「無の境地」で・・「いざ!!」と両者にらみ合い互いに一歩も譲りません。
信綱が心眼を開いた宗厳へ「免許皆伝」の皆伝印可を伝授したそうです。
宗厳は徳川幕府剣術指南役となりましたがご老体でしたので、五男宗矩を
三代将軍 家光の剣術指南役としたのです。
私の娘 美保も少しづつではありますが、柳生の境地に近づいているような気がします。
皆さま方、ご承知の事と思いますが、マスコミ各社様の報道により
平成29年3月4日 男子プロゴルファー 小平智と美保は入籍致しました。
息子 智は爽やかな好青年です。勝負の世界で生きていく息子を持った事に感銘しております。
これからは、智のメンタル面も指導していくのか!と思うだけでワクワクする自分がここに居ます。
ゴルフ面での技術指導は、智のお父様。
メンタル面での指導は、私 宏二郎でと一人勝手に妄想しております(笑)
振り返れば、美保の引退から7年が経ちます。
智・美保家族に誕生してくる孫を願い、楽しみとしてこれからも精進して参りたいと思います。
このブログ「最終章・永遠に・・」は、智・美保が結婚したことにより、文面を一旦中断させて頂きます。
皆様方、智・美保の幸せを願い、いつの日か又、ペンを取る事が出来ると思います。
長い間、御拝読して頂きまして有難う御座いました。
古閑宏二郎