FINAL ~永遠に~

美保伝説

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第14話 我が盆栽道

 私の趣味の中でも盆栽に於いては、私個人の見解ではあるが、秀でる才能を持っていた気がします。当時若干26歳ながら初めて五葉松を手掛けたのです。

それからというもの…軽く200鉢ほど手掛け、また何鉢枯らせたことか…家内からは「もう!盆栽だけは買わないで!!」と、何度懇願された事か分かりません(笑)

しかし、それから30年余りの時が経ち、その失敗こそが今の盆栽道を極めているのです。

 なぜ盆栽を枯らせたのかって?それは…美保ファンの方はご承知のはずで、美保の試合に行っている間、家内は盆栽嫌いの事もあり誰も盆栽に水やりをしなかった事が原因です。

それだけ美保に魂を注いでいた事はご承知の限りですが…五葉松から始まり、松伯系は真柏、そなれや、今では花物のさつきも手掛けておりますが、さつきほど手の掛かる盆栽は他にない事をいつしか知らされていたのです。

 盆栽を探し全国を歩いた日々も今では懐かしく、中でも四国の鬼無(おになし、または、きなしとも言う)盆栽園で購入した「礎馴松(そなれまつ)」は我が家の家の玄関前に「威風堂々」と150年の時を経て、今でも命の脈を打っているのです。

盆栽と言えど、されど盆栽なのです。

時の内閣総理大臣・「吉田 茂 総理」も根っこからの愛好家であったと聞いております。

新潟の石油王 中野 忠太郎様は、盆栽でこの世に二つとない銘をお持ちだったそうです。その他いろいろと・・・
100億もの資産を盆栽に投資されたそうです。

将軍 家康公より前田判家に献上した、百万石なる盆栽は、
値段がつけられぬ程の価値があるのですぞ!

まずは、植樹は手を掛け、水やり3年、可愛がれば可愛がるほど、必ず答えてくれるのですぞ!


 何事も一芸に秀でる道なる事を知らず知らずに美保は背中で感じ取っていたのかもしれませんね。

近頃では美保も自然の感受性を磨き、少しながら「柳生の境地」を目指しているのです。

先日、美保が帰省した際に、私の盆栽を堂々とアップしておりました(笑)


次回予告 美保を育てて下さった「くまもと阿蘇カントリークラブ」の話をしていきたいと思います。




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