FINAL ~永遠に~

美保伝説

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第15話 くまもと阿蘇カントリークラブ 湯の谷コース

 美保(当時中学1年)は、TKU坂田塾で頭角を現し始めた頃、熊本の名門「くまもと阿蘇カントリークラブ湯の谷コース(通称湯の谷)」の会員権を購入しました。当時の塾生では美保だけが「メンバー権」を持っておりましたのでVIP待遇です。美保に一番目にかけて頂いていた当時の支配人(末武さん)より、大変可愛がられており、グリーンキーパーの西島さん(現在は退職されています)は特に目をかけて下さいました。

 広畑ゴルフ練習場の伊東社長はじめ、奥様からも美保は溺愛されており、伊東コーチからの厳しい指導と優しさでゴルフの技術を学んでおりました。月に一度の坂田プロのレッスン。土・日曜日は湯の谷を午後から2ラウンドするという徹底したスパルタゴルフでしたね。いくら雨が降ろうと、雪が降ろうとも美保は練習を休むことはありませんでした。

 その中でも私が驚いたのが、美保が38度の熱を出し、顔のほてりもある中練習していると、広畑ゴルフ練習場の伊東社長が優しく声を掛けて下さったそうです。「美保ちゃん、今日は練習しないで帰ったら?」と…泣く泣く帰ってきましたが、やはり練習し足りなかったのか…庭で素振りをしていた美保がいました。我が子ながら「あっぱれ!!」見上げたものです。

 門戸を開いて下さったTKU坂田塾、広畑ゴルフ練習場、湯の谷コース…そこに関わった全ての皆様が美保の原点なのです。美保を支え、育てて下さった全ての皆様方に感謝してもしつくせない程の恩恵を感じております。美保を支え、育てて下さった皆様方、この場をお借り致しまして「感謝」の気持ちを述べさせて頂きます。

 美保(当時高校3年)は、坂田プロと大学進学問題(意見の相違)にて退塾したのですが、その後が我ら親子にとり、試練の始まりでした。私達はゴルフの事は何も知らず、娘を路頭に迷わせる結果となっていた私へ優しく手を差しのべて頂いたのが、ナイスゴルフ練習場(冨野社長)さんでした。

 冨野社長より、美保ちゃんが練習するのに料金は頂きません!その代り、打席の後片付けを任命されました。トイレ掃除、球拾い等々…冨野社長と奥様は美保に根性をつける為と、あえて厳しく接して下さったのです。これまでチヤホヤされていた美保にとって、本当に辛かったと思います。清元先生の厳しい指導に耐えられたことも、冨野社長ご夫婦のお陰だとだと思っております。きっと賞金女王を勝ち取る為の準備運動だったのには間違いないですね。
冨野社長ご夫婦には次女・理沙、姪・佑佳、甥・博治も美保と同様に練習場で育てて頂きました。感謝、感謝です。

 話は戻りまして、湯の谷ですが、今は理事・支配人全て人事が変わりました。私の「尊敬」する米澤義一会長、私が「親父」と称する熊本ホテルキャッスル斉藤隆士社長が理事長へと任命されました。「古閑美保」は湯の谷で名誉会員となり、ロッカー番号(ゴールドメンバーナンバー)34番は永久欠番となったのです。

2016年4月14日、16日「震度7」の大きな地震が2回も起きてしまいました。
ちょうど美保は、空港カントリーで行われるバンテリンの試合で解説リポーターとして帰省中で、「熊本地震」に遭いました

被害が大きかった益城町、阿蘇の状況を目の前にした私は、言葉を失くしてしまいました。

地震の影響で、湯の谷ゴルフ場は、ほぼ壊滅状態となっており、
復旧には1~2年程かかるとの話を聞いた美保は、心を痛めております。


 熊本に帰省する度、美保はナイスゴルフ練習場、広畑ゴルフ練習場、武蔵ケ丘ロイヤルゴルフレンジ(順不同ですが)へ必ず顔を出します。皆様方より愛され育てて頂いた恩恵を忘れていない美保がいます。

 美保よ!これからも益々、光輝く素敵な女性となれ!!と願う父です!


次回予告
幼少期から幼馴染みである美保の心友「なっちゃん」のお話しです。


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