FINAL ~永遠に~

美保伝説

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第7話 私の母

 私の母は…と申しますと、家内の母と対照的で、お茶目で、はいから(オシャレ)さんです。私は二人兄弟の弟です。私は母から「勉強しなさい!」と言う言葉を言われたことがありません。両親から不自由なく愛情いっぱいもらい育てられました。野球に携わることで、小・中・高校と幸せな日々を送ってきました。

 夕食を早い時間(夕方4:30)に食べるのが日課の両親。母は父との晩酌で必ず香露(日本酒)を2合呑みます。来客があると母は香露を3合~4合呑み、酔っぱらっては「酒と女は2合(号)まで!!」と、変なダジャレで場を盛り上げていました。

 母の家系は代々の地主でお百姓さん。度々、父とケンカしては、母は自分優位の先祖の事を言い、大ゲンカしていた記憶があります。

 吉井妙子さんが書かれた小説「美保の一本道」でご存知の方も多いでしょう。美保は中学2年生。地元・熊本で開催された再春館レディースの1番ホールに、なんと!?和装姿(着物)で登場した母がいました。主催者の社長さん方も呆然とされていた事を覚えております(私も呆気にとられていましたが…)。こんな母ですが、どこか憎めず、どこか可愛らしさを醸し出しています。私は母のお乳を小学1年生まで吸っていたんだと聞かされました(きっと甘えん坊だったのでしょう)。

 そんな私の大好きな母が倒れ、2015年、進行性核上性麻痺という診断が下されました。眼球障害を伴う、パーキンソン病の一種です。今では身体が思うように動かず、寝たり起きたりの病院生活を送っております。

 美保が熊本へ帰省すると、母から言葉は出ませんが、精一杯喜びを感じ取る事ができます。母には、一日でも…一分でも…一秒でも長生きしてほしいと願っております。人生とは「生老病死」この4つの「苦」は避けられません。いつしかは老いる母の姿を目にし、何も出来ない自分の非力さを痛感しています。

 先日、母の病院を訪ねると、そこには母を甲斐甲斐しく介護している父の姿がありました。母の食事介助をし、父は自分の栽培したトマトやバナナを小さくカットしてきて、母の口まで運んでいました。食べ終わると、父は母の入れ歯を洗っていました。そんな父の姿を見て「あの亭主関白だった父が…」と涙したものです。

 両親の息子で本当に良かった。両親が大好きです。次、輪廻転生し生まれ変わったとしても、私はまた、両親の元に生まれて帰りたい…。美保から私達夫婦もそう思われる様な存在になれればと思います。

次回予告
古閑家の家系図を辿る旅に出てみました。

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