FINAL ~永遠に~

美保伝説

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第8話 古閑家の家系図

 私はひょんな事から、自分の家系は一体どんな先祖が居たのだろうか?と考えました。日本一に輝いた美保のDNAは、どんな方々より受け継がれてきたのだろう…と、非常に気になりまして、私は自分や美保のルーツ(先祖)を探す旅へと出掛けました。

 私の父の兄弟の長男、貢伯父さんに質問しました。すると、祖父方の母(曽祖母)が鹿児島から嫁として来られたと…その時お召しになっていた着物の帯の懐に懐剣(かいけん)を差し、嫁に来られたと聞きました。私は、もしかして!?鹿児島といえばあの「島津藩」ではないかと直感したのです。

 篤姫

 徳川幕府第15代将軍・徳川慶喜公を無血開城で倒した島津藩の末裔では…と思い、それから私は一人孤軍奮闘し、戸籍謄本を取り、先祖を一つ一つ遡って調べました。

 調べていると最後に、阿蘇山で有名な阿蘇神社へと辿り着きました。神社の宮司さんへ訊いた所、「昔の人に名字はないですよ!」…と一言。「ハッ!!」と思っていた私へ宮司さんは、「昔は殿様が名字を付けていたそうです。例えば木の下に家があると「木下」と付け、田んぼの下に家があると「下田」と付けよ…」と、そんな時代でしたよとお話しされました。

 ここの神社には勿論過去帳なる先祖の記載された書物はありますよ…と、宮司さん。私は間髪入れず見せて頂きたいのですがとお願いしたところ、阿蘇市役所で許可を取って下さいとの事でした。早速、娘婿・和哉に市役所に行ってもらい島津の話をしたところ、あまり快く思われませんでした。しかし課長さんは優しく答えて下さり、阿蘇一族を平定したのも島津藩でした。何百年経った今、神宮の門を開けても出てくるか判りませんよ?と答えが返ってきました。

 しかし、戸籍の最古の記録には、なんと「島津榮松」と名前がハッキリと記載されていたのです。市役所ではこれ以上の記録がなく、これから先の先祖を調べるとなれば…愛娘・美保にお願いし、テレビ番組の力でもお借りして調べて頂きたいと願います。

 昨今の結婚式では和装におもちゃの懐剣を帯に差すのですが、愛娘・美保の結婚式では、本物の「懐剣」を帯に差し「威風堂々」と歩いてほしいものです。

 さぁ!これから美保の懐剣を探す旅へと出掛けてみますかな!?

と思い立ったが吉日。私は神奈川県へ足を運びまして、「山田さん」なる刀剣屋さんと運命の出会いがあり見事、美保御守刀をゲットすることができました。

私、宏二郎・・・刀剣に関して、自分で言うのも何ですが、かなり目利きと自負しております。

精神修養の為、当時試合前の美保を座敷に座らせまして「刀」を握らせた事も多々ありました。
王貞治選手の荒川道場にちなんで、美保にも・・・との思いでやっておりました。

改めて今考えると、女の子にあんなことをさせて!と反省しております。

また、私の自慢なのですが、我が家には「ジャンボ尾崎」さんから賜った肥後同田貫なる名刀もございます。

私は、「刀」と「盆栽」の話を語れば長くなり終わらなくなりますので、今日はこの辺で・・・


次回予告
私の生涯の友・・・共に歩いた日々を忘れない!をお届けいたします。


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