MIHO’S  DADDY’S JORNEY DIARY 古閑美保の四国八十八カ所巡り日記

煩悩 四国八十八ヶ所巡り日記

ばっくなんばぁ

第2話 旅の始まり

平成20年5月28日。熊本から福岡空港に向けて朝6時に家を出発。徳島空港に着き、そこからバスで一番札所の霊山寺に向かいました。
家族のことを思いつつ、自分がどこまで出来るのか不安と期待が入り混じる中、いよいよ四国八十八ヶ所巡礼の開始です。
まず、霊山寺の売店で、菅笠(すげかさ)・金剛杖(こんごうつえ)・輪袈裟(わげさ)・数珠を購入し、服装を整えました。
皆さんテレビなどで、お遍路さんが白い上着を着ていらっしゃるのを見かけたことがあるかもしれません。売店の女将さんが、「白衣(びゃくえ)はいらないのですか」と質問されたので、私は「どうしても白衣を着なければいけないのですか」と逆に質問したところ、「決まりは無いのですが、巡礼の途中で命が絶えた時に、そのまま死装束になり、それほどの覚悟がいるのです」とのことでした。
ですから、私は間髪要れずに、「私は死にに来たのではありませんので、白衣は必要ない」と断りました。家族のことを祈願しに来たのですから。
後ほど聞いたのですが、お寺の本堂と大師堂に礼拝する際は、白衣を着て正装してお参りするのが習わしだそうです。

巡礼初日。本日は、霊山寺を出発し、七番札所の十楽寺までを目標に歩きます。
最初はウキウキ感と、最後まで歩き通すぞと強い意志で望みました。
が、途中で、両足がマメだらけになってしまいました。痛くて痛くて歩けません。
なんと私は、ゴルフシューズで初日のお遍路を行っていたのです。軽率でした。足が痛くなるたびに妻に電話をし、一日目にして泣きを入れたのを、今でも昨日のことのように覚えております。
電話をした妻の言葉は、「男が一度決めたことは、最後まで貫かんといかんたい!一家の大黒柱の心が折れたら、家族みんなが負けるとよ!」と言うお厳しい言葉に、私は発奮し、とにかく意地で痛みを堪えて歩きました。
夕方5時45分に七番札所の十楽寺にたどり着いたときは、死ぬ一歩手前でしたね(笑)。
歩数計は32,759歩、21.9キロの道のりでした。

旅館にたどり着くと、まずひとっ風呂浴びて夕食をとりましたが、何せ足が痛くて満足に食事が喉を通りませんでした。
部屋に戻り、足のマメを潰し、絆創膏で補強してその夜はぐっすり寝ました。もちろん禁酒をして。
通常、私は家にいるときは、毎晩12時頃まで晩酌をし、翌朝は10時頃起床していました。時間にとらわれるのが嫌な性格で、お陰様で自由奔放に生きてきました。
しかし、お遍路初日、私は久しぶりに疲れきっておりましたので、夜の8時くらいには眠くなりました。
人間の身体は、その時間に寝ると夜中に何度も目が覚めて、朝は5時前に起きるように出来ているのですね。
それと早起きして気付いたのが、その朝ごはんがおいしいこと!
柳生石舟斎の「食するはお命を頂戴すること」の意味をお遍路によって気づかされました。

さて、次週は2日目のお遍路の話です。八番札所から十番札所の切幡寺までの道のりです。

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