MIHO LEGEND

美保伝説

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第7話 国士無双

LPGAツアーチャンピオンシップ・リコーカップ。 その年のランキング25位以内の選手と、その年のチャンピオンにだけ出場が許される大事な大会。 私はどの試合も勝ってほしいと願うのですが、この大会だけは特別な思いを胸に秘め応援しております。 美保はプロになって、毎年この大会に出場しており、開催場所が宮崎県で九州県内ということもあって、家族総出で応援に行くのが年中行事となっております。 4日間を通し、ギャラリーとしてゴルフコースを歩くわけですが、野球で慣らした足腰も年齢を重ねるたびに段々と弱っていくのが自分で分かるようになり、 また、贅沢のせいか、通風の足を引きずりながら、応援するようになりました。

2007年11月25日リコーカップの最終日。美保は首位の不動選手と5打差あります。 私は2位で終わっても立派だと自分自身に言い聞かせ、半ば諦めていた様な気がします。 それもそのはず、相手は清元門下生の姉弟子、あの6年連続賞金女王の不動選手なのですから。 いつも一緒に練習に励み、不動選手を目標にしており、美保は「絶対に不動さんには勝てない」と言っていました。だって、1年間で10勝する選手ですよ! 最終日スタート時の5打差は、「10打差に思える」と言ってスタートしていった娘ですが、私は「自分を信じて自分のプレーをして来なさい」と励まし、 共に戦っている気持ちで美保の組についてまわりました。

2番3番4番とロングパットが面白いように入り、好スタートをきります。
前半で4つスコアを伸ばし、バックナインに入る前には不動選手に並びました。 一緒について回っていて、面白いようにバーディーを奪い、「ひょっとしたらひょっとするかもしれない」と思いつつ、老体に鞭を打ち、私は美保の先を歩きます。 私がコースを回るときには、必ず美保の打つボールの飛球先に歩いて行きます。ボールの着地点が心配で、 「ここからなら狙える」とか「ここからだとパーをセーブするのがやっとかな」とか一人で勝手に考えるためです。 バーディーを取った時には「ナイスバーディー!」と声をかけ、美保応援隊のひとりとして頑張ります。まぁ、美保応援隊があるかは分かりませんが。

後半、一進一退の攻防が続く中、迎えた16番ショートホールのことです。 美保は1.5メートルの位置にグリーンオン。不動選手のボールはピンが狙えない松の木の真後ろ。 無常にもあの天才不動選手がダブルボギーとし、美保が一歩リードします。 私はまさかの展開に興奮のせいか、17番・18番とあまり記憶がないまま、気付いたときには優勝が決定していました。 こうして、手に汗握る同門対決が終わり、国士無双とも言える対決に決着がつきました。 見事、国内三大大会初制覇で、メジャー史上2番目の最大差逆転劇を成し遂げ、絶対に勝てないと思っていた尊敬する選手に競り勝ち、 美保にとっては本当に記憶に残る優勝になったに違いありません。 優勝インタビューで「盆と正月と誕生日が一緒に来たようなゴルフができた」と語っていることからも、そう窺えます。 終わってみれば、不動選手と2打差、3位の選手との差が8打差あり、完全優勝という形でシーズン最終戦を終えました。

その年の賞金女王は上田桃子選手でした。 桃子ちゃんは美保の後輩で、坂田塾・九州東海第二高校と同じゴルフ道を歩いてきました。 ですので、私は幼少の頃より桃子ちゃんを知っており、あの可愛かった桃子ちゃんが日本一に輝いたことが嬉しく、娘のことのように「おめでとう」と声を掛けました。 嬉しい気持ちが8割で、残りの2割は、「次は絶対に美保の番だ」と心に誓ったことを未だに覚えております。

次回は、千葉県の京葉カントリーに私も応援に駆けつけた、クリスタルガイザーレディースの移動、及び優勝の喜びを書きます。

美保語録
盆と正月と誕生日が一緒に来たようなゴルフができた。